長崎、軍艦島が熱い!世界遺産登録が決定!ホットスポットに行こう

長崎、軍艦島が熱い!世界遺産登録が決定!ホットスポットに行こう

記事更新日: 2015-09-11

軍艦島

旅に出たいけれど、長期のお休みはなかなか取りにくい、大掛かりな海外旅行は気が引けてしまう……。さまざま理由で旅行の計画を先延ばしにしているあなた。

2、3日のお休みでも十分に楽しめる国内旅行をお忘れではありませんか?

そこでおすすめなのが今、1番のホットスポット「軍艦島」。日本の近代化の礎を垣間見るとともに、クルージングも楽しめる無人島への旅。疲れた心と身体をそっといやしてくれることでしょう。

軍艦島の歴史

軍艦島の正式名称は「端島(はしま)」。長崎港から南西の海上約19キロメートルの位置にあります。その形が日本海軍の戦艦「土佐」に似ていたことから、いつしか「軍艦島」と呼ばれるようになりました。無人島であった端島が歴史の表舞台に登場したのは1810年の江戸時代後期。長崎県の端島で石炭を発見したことに由来します。

といっても端島が炭坑として名を馳せるのはまだ先のこと。江戸時代の終わりまでは、漁師が副業として露出炭を採炭していた程度でした。

日本の近代化を支える炭坑として発展

その約80年後の1890年(明治23年)。三菱社が島全体を買い取り、本格的に石炭の発掘を開始します。採炭された石炭の品質は高く、日本初の蒸気機関によって海底炭田を掘る竪坑高島炭鉱とともに日本の近代化を支えました。

発見当初は縦320m、横120mの小さな島であった軍艦島は、出炭量の増加とともに埋め立てが進み、縦480m、横160mほどにまで拡大。1960年(昭和35年)には5000人以上が住んでいたといいます。

その人口密度はなんと、現在の東京の約9倍。当時は世界一の人口密度といわれるほどでした。

世界遺産登録決定

日本初の鉄筋コンクリート造アパートの建設や、学校、病院、映画館、商店街などが軒を連ね、活気に満ちていた軍艦島。やがて、主要エネルギーが石油に移行するとともに衰退の一途をたどります。1974年に閉山し、2001年に当時の高島町に権利がわたり、今では長崎市の所有になっています。

繁栄当時の姿をそのまま残す軍艦島は、2008年に「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産暫定リストに追加記載されます。そして、2015年5月には国際記念物遺跡会議(イコモス)が世界文化遺産に登録するよう勧告。一気にその名が知られるようになりました。

クルージングも観光も楽しめる「軍艦島」へ行こう!

軍艦島までは船舶での移動となります。船や利用するツアーによって乗り場が異なるので、事前にしっかりチェックをしましょう。主な乗り場は、常磐桟橋、長崎港ターミナル、元船桟橋などです。

なかでも、常磐桟橋周辺には世界遺産に勧告されたグラバー邸がある「グラバー公園」、国宝「大浦天主堂」などの観光スポットが点在。長崎に今も息づく異国情緒を楽しんでみてはいかが?

「周遊コース」「上陸コース」選べる観光ツアー

軍艦島へのアプローチは、船上から島全体を眺める「周遊コース」と、島に降り立つ「上陸コース」があります。周遊コースでは島の近くまで接近し、周囲をゆっくりと一周。かつての栄華を間近で観ることができます。2009年に軍艦島への一部上陸が可能になったことを受け、実際に島に降りて観光できるのが「上陸コース」です。

ただし、上陸時間は長崎市の規定により1時間と定められているほか、気象、海象によって上陸できないこともあるので覚えておきましょう。

先人たちの息吹と歴史を五感で感じよう!

繁栄当時の炭坑、建物はそのままに、人々だけが去った軍艦島は、上陸許可が下りるまで完全に無人の廃墟となっていました。そのため、当時に建てられたアパートなどは少しずつ風化。崩壊の時を刻んでいます。

しかし、そこには日本の近代文化を支えた日本人の心が残され、現代に生きるわたしたちへのメッセージが込められているのではないでしょうか。

さわやかな潮風を感じながら、特別な時間を約束してくれる軍艦島への旅は、きっと心に深く刻まれることでしょう。日本の近代化の礎と先人たちの息吹を、その目で、肌で感じてみてはいかが?

ねこりょうこ

この記事を書いた人 根子 陵子

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ライター&エディター。情報誌編集者を経てフリーランスに。旅、ライフスタイルなどさまざまなテーマを執筆するとともに、フードスタイリストとしてレシピの提案も。旅先でのモットーは「地のものを食す」。おいしい食べ物を求め、国内外を取材&旅行中。

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