聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

記事更新日: 2016-03-10

聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

 

二つの飛鳥

大阪府南東部に位置する太子町。その名のとおり、日本史最大のスーパースターである聖徳太子(厩戸皇子)にゆかりのある町です。

この辺り一帯は近つ飛鳥と呼ばれています。飛鳥といえば奈良県というイメージがありますが、どういうことなのでしょうか。

実は難波宮(現在の大阪市)から近い方を近つ飛鳥、遠い方が遠つ飛鳥と呼ばれていたのです。そのため、現在の大阪府の南河内地方が近つ飛鳥あるいは河内飛鳥、奈良県明日香村周辺が遠つ飛鳥あるいは大和飛鳥となりました。今の太子町は何の変哲もない田舎ですが、約1400年前は日本の中心地だったわけですね。

その二つの飛鳥を結んでいたのが、日本最古の官道である竹内(たけのうち)街道です。3年前に敷設1400年を迎えたこの街道は、飛鳥時代では現代でいう東名高速道路か東海道新幹線のような存在でした。さらにその頃には、竹内街道はシルクロードの東端とも言われ、二つの飛鳥に大陸文化をもたらしたのです。

二つの飛鳥を結んだ日本最古の官道・竹内街道の石碑↓

聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

大阪府と奈良県の県境には二上山という、山頂が二つある山がそびえています。かつての二上山は神聖な山とされ、竹内街道はその南側を通っていました。現在は国道166号線になっています。

河内(大阪)側から見た二上山↓

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摩訶不思議、三つの寺を結ぶライン

聖徳太子は574年、現在の奈良県明日香村にある橘寺の近くで生まれたとされています。仏教を厚く信仰し、叔母である推古天皇を補佐する摂政として政治を行いました。また、日本初の憲法である十七条憲法を制定した人物としても知られています。

622年、49歳の時に聖徳太子は亡くなります。その2年前、聖徳太子は自らの墓所を近つ飛鳥に決めました。聖徳太子が没した後、推古天皇はその墓所にお堂を建てます。それが太子町にある叡福寺の始まりと言われます。その後、奈良時代となった724年に聖武天皇が伽藍を整備したのが開基とされています。

叡福寺の南大門↓

聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

叡福寺は上之太子とも言い、大阪府羽曳野市にある中之太子の野中寺、大阪府八尾市にある下之太子の大聖勝軍寺と共に河内三太子と呼ばれています。

実は兵庫県にも太子町が存在します。ここにも聖徳太子が開基したと言われる斑鳩寺があります。聖徳太子が生まれた奈良県の橘寺、聖徳太子の墓所がある叡福寺、聖徳太子が開基した斑鳩寺という三つの寺は、一直線に並んでいます。この三つの寺は距離が相当離れており、飛鳥時代にどうやって一本のライン上にあると聖徳太子にわかったのでしょう。そう考えると神秘的ですね。

叡福寺の境内↓

聖徳太子が眠る叡福寺。かつての日本の中心・河内飛鳥の象徴が大阪に!

境内の奥、二天門を登った所にある墓所の聖徳太子御廟↓

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桜の名所・叡福寺

叡福寺には多くの桜の木が植えられています。したがって、春に叡福寺へ行くのは最適ですね。

なお、拝観料は無料です。無料で聖徳太子ゆかりの寺が拝めるうえに、桜も楽しめるなんてお得ですね。さらに、土日祝には寺宝館が開館されます。聖徳太子に関する展示物があり、入館料は200円となっています。

桜に囲まれた重要文化財の多宝塔↓

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叡福寺の桜↓

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観光地化されていない魅力

聖徳太子の墓所があるわりには、叡福寺はあまり知られていません。前述の橘寺や、法隆寺など奈良県にある聖徳太子ゆかりの寺は有名であり拝観料も取るのに、前述のように叡福寺は無料です。

つまり、叡福寺を含めて太子町は奈良県と違って観光地化されていないのです。そのため、あまり有名でなく訪れる人も少ないのですが、歴史ファンなどはそこが却って魅力だと言います。しかも、史跡の豊富さでは決して奈良県に劣りません。つまり叡福寺および太子町は、かなりの穴場だと言えるでしょう。

アクセスは、近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から河内長野行きの準急もしくは急行に乗って約30分、喜志駅で下車し、東口ロータリーから金剛バスの「上ノ太子行き」「太子まわり循環」「葉室まわり循環」のいずれかに乗って太子前バス停で降りると目の前に叡福寺があります。

また、無料駐車場もあるので、車で行くこともできます。奈良の有名な寺には観光バスが多く停まっていますが、それすらほとんど見掛けません。

泊りがけで行く時は、叡福寺からはやや離れていますが太子温泉があります。二上山は死火山であり、そこから温泉が湧いているのです。おそらく聖徳太子も、この温泉に浸かって疲れを癒していたのでしょう。叡福寺に限らず、史跡豊富な太子町散策する時はここで宿泊することをお勧めします。

聖徳太子めぐみの湯・太子温泉↓

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おまけショット:太子町の至る所にある、ランドセルを背負った聖徳太子。可愛いというか不気味というか……(笑)↓

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安威川敏樹

この記事を書いた人 安威川敏樹

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大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

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