師走の京都 魅惑のランチと路地巡りを楽しむ旅

師走の京都 魅惑のランチと路地巡りを楽しむ旅

記事更新日: 2016-01-10

師走の京都 魅惑のランチと路地巡りを楽しむ旅

師走の京都に行ってきました。と言っても、このうし君を撫でに行ったわけではありません。海外から友人が一時帰国したので、お茶とお喋りを楽しみに。

Al Porto Cafeにて

お茶、わたしともう一人の友人はランチでしたが、の舞台は京都高島屋7階の”Al Porto Cafe”でございます。

メニューをしばし睨み、熟慮に熟慮をかさねた結果、パスタセットを選びました。もちろん食後のデザートと珈琲も。嬉しいことにこのお店は、セットにエスプレッソを選択できたんですよ。シングルのみですが。

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まずはセットのサラダとパン。パンにつけるオリーブオイル。「パンはおかわりして頂けますので」のお声に、思わず目が輝いてしまったのが、店員さんに気付かれていないといいのですが。

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名も知らぬ幾多の野菜が織りなすハーモニーと、お喋りを楽しんでいるうちに、新打ち登場。上にたっぷりのリコッタチーズ様がのった、トマトのスパゲティでございます。ふふふ。

女三人寄れば姦し。わたしはパスタを、他の二人はピザとティラミスをゆっくり楽しんでいるうちに、あっという間に1時間はたってましたかね。デザートが出てくるのが若干遅かった気がするのですが、もしかして話の腰を折るのをおそれて、待ってくれていたのでしょうか。

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パスタセットのデザート。本日はパンナコッタでございました。絶品です。口に入れた瞬間、口を開けたままつきだして震えるという、かなり間抜けな状態に陥ってしまいました。感動。

もちろん友人にも、味わって頂きましたよ?

シメのエスプレッソはおしゃべりしているうちに、なくなってしまい。いやもちろん、自分で飲んだのですけれどね? おかげで写真を撮っていないと言う……。

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でも大丈夫。同じように美味しかった上に、美しいラテアートがほどこされたカフェラテはちゃんと撮っています。このカフェラテは、追加で注文しました。ほら、おしゃべりしていれば喉が渇きますからね。ね?

Al Porto Cafe http://www.takashimaya.co.jp/kyoto/restaurant/western/02.html

いつもの場所に御参りに

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ランチとお喋りを楽しんだ高島屋を出て向かった先は、北野天満宮。河原町界隈に来たら、必ず寄ります。狛犬君たちと撫で牛くんに挨拶をし、きちんとみそぎを済ませた後、御参りをしてふと見ると。

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早咲きの白梅が。しかも散りかけ? 暖冬とはいえこれはいかがなものでしょう。

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もうひとつの目的地である錦市場。は、予想通りの人だかりでございました。歳末の買いだし客+観光の皆さまですね。はい。前に中々進めず、途中で離脱しましたので、写真はこの一枚。垂れ幕の「若冲」の飾り文字が見えますかね。

これぞ京都の小路?

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かわりに向かったのが、ここ。「柳小路」でござります。

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この細い道は、いつも人通りの絶えない新京極からふた筋離れた場所にありました。通ったのは初めてです。この都以外で生まれ育った人間の勝手な思いかもしれませんが、先斗町や花見小路とは別の意味で、「これぞ京都」な道だなと。

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こんな電燈なんぞがさりげなく壁に掛けられているから、余計にそう思うのかも。目でなら「京都柳小路」の文字がちゃんと見えるのになぁ……。コンパクトカメラ(もしくはわたしの腕)の、これが限界でしょうか。

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こちらは柳小路入ってすぐにある「八兵衛明神」。この時には由来についてさっぱり知らないものの、八尾万の神様を信望―――とまではいかないまでも、いたらいいなと思う身としては、ご挨拶はせねばと思い、一礼。

『昔、柳小路界隈は、歓喜光寺というお寺の境内でした。そこに、狸が3匹住んでおりました。その狸の名前が「八兵衛さん」「七兵衛さん」「六兵衛さん」。 時代も変わり、寺地が摂取され新京極が生まれ、繁華街化が進み、のちに3匹を祀り地域の鎮守社とし六、七、八兵衛明神の3社が創建されました。』(http://www.yagenbori.co.jp/hachibei/hachibei.html

物の本によるとこの明神さんにはそんな由来が。なるほど、ここらへんもお寺さんの地所だったのですねぇ。寺の用地摂取は明治政府あたりかな。京都の方の多くは倒幕派だったようですが、そのお寺さんは佐幕派だったのですかね?ついでに言えば、わたしが住みかを追いだされた八兵衛さんであれば、祀られたところで「祟り神」にしかならないと思いますが。

まぁ、迫害(追い出すのは立派にそうでしょう)した後、祠を建てて慰めるのは、多神教ではお馴染みのやり方ですね。あ、キリスト教でもあったかな。

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なんてことを考えつつ、八兵衛明神の前にあるマンホールを撮って、お家に帰りました。あぁ楽しかった。

海山ヒロ

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