五島列島ってどんな所?楽しく周れる観光スポット案内!

五島列島ってどんな所?楽しく周れる観光スポット案内!

記事更新日: 2019-10-17

五島列島 大瀬崎灯台

五つの大きな島と、無数の小島からなる「五島(ごとう)列島」。

長崎港から西へ70~100kmほどしか離れていないにもかかわらず、「日本一美しい」という声も聞かれる白い砂浜や、透き通った海で遊べる、癒やしの楽園です。

また、キリスト教が禁じられていた時代に、その信仰を守ろうとした人々が移り住んだ場所でもあり、2018年に登録された世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」にも五島列島内の複数のエリアが含まれています。

見どころの多い五島列島の中でも、特におすすめの観光地と、観光の際の島内および島から島への移動手段を詳しくご説明します。

 

 

まる
南の方に行くなら、沖縄とか奄美大島でも良くない? 五島列島って、どういう魅力があるの?
ベル
同じ南の島でも、五島列島の中にはたくさんの教会があるから、見られる景色はだいぶ違うんだ。沖縄とかに行き慣れてる人でも、十分楽しめると思うよ
しえ
確か、五島列島には、全部で50ぐらいの教会があるのよね。有名なとこだけに絞っても、移動はけっこう大変そうかな~、って思っちゃうんだけど
ベル
観光地がいくつもの島に分散してるから、大きな島の中だけで観光する時よりは苦労するかもね。でも、便利な移動手段もあるから大丈夫さ!

 

五島列島って?

五島列島 地図

 

五島列島は長崎県の西側に位置する、大小140以上の島の集まりです。

五島列島 地図

 

その中心となっているのは、最も大きな福江島(ふくえじま)と、2番目に大きな中通島(なかどおりじま)、そしてその間にある若松島(わかまつじま)奈留島(なるしま)久賀島(ひさかじま)という五つの島です。

地図の上では、北東の中通島から南西の福江島(および、その周辺の小島)までの区域だけに「五島市(福江島・奈留島・久賀島)」や「五島町(中通島・若松島)」という名前が付けられていますが、一般的には中通島の北の小値賀島(おぢかじま)と野崎島(のざきじま)、さらにその北にある宇久島(うくじま)も五島列島の一部として扱われています。

五島列島 名物 鯖鮨

五島列島は、夜には降るような星空が、昼には青い海と輝く砂浜が目を奪う、豊かな自然の残る場所です。澄んだ海がもたらす魚の風味は、生はもちろん加工しても大きく失われることはなく、さっぱりとした「鯖鮨(さばずし)」や、名物の五島うどんにも使われる「あごだし(=トビウオのだし)」などは、とても人気があります。

コシが強く、なめらかな五島うどんを作る際には、こちらも五島列島の名産として知られる「椿(つばき)油」が使われます。この椿油はとても質が良く、化粧品としても高く評価されています。

五島列島 井持浦教会

また、五島列島は、かつて遣唐使の停泊地として利用され、江戸時代には九州本土側から逃れてきたキリシタンたちが信仰を守り通したという、文化的・歴史的に見どころの多い土地でもあります。

この地域に50以上はあるとされる教会は、五島列島ならではの景観を形作るものとして以前から注目されていましたが、2018年の6月30日に、五島列島の教会や集落跡などを含む長崎と天草の史跡が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されたことで、その人気はさらに高まっています。

 

五島列島の観光スポットは?

五島列島 

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、12の構成資産で成り立っている世界遺産です。

そのうち、五島列島に存在するものは、「野崎島の集落跡」「頭ヶ島(かしらがしま)の集落」「奈留島の江上(えがみ)集楽 (江上天主堂とその周辺)」「久賀島の集落」の四つ。

五島列島に行くなら、最低でも1ヶ所、可能なら2~3ヶ所は訪れてみたいところです。

五島列島 高浜海水浴場

五島列島の海で遊ぶなら、福江島西部の「高浜(たかはま)海水浴場」が一番のおすすめ。

透明度の高い海や白く続く砂浜は、沖縄に勝るとも劣らない満足感を与えてくれますし、美しい夕焼けが見られるスポットとしても有名です。

他にも、五島列島内には絶景スポットがいくつもありますから、世界遺産にこだわらない旅でも飽きることはありません。

※「潜伏キリシタン」というのは、あまり聞き慣れない言葉ですが、これは「キリスト教が禁じられていた期間に、(その信者と悟られないように偽装して)信仰を続けていた人々」を表す学術用語です。そこには「潜伏の必要が無くなってからも、そうした特殊な形での信仰を維持していた人々」は含まれません。一般的に使われる「隠れキリシタン」という言葉には、この両方が含まれてしまうため、世界遺産の名称には潜伏キリシタンが使われています。

 

頭ヶ島天主堂 (頭ヶ島)

五島列島 頭ヶ島天主堂

「頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)」が建っているのは、中通島の東端から橋を渡って行ける小島「頭ヶ島」です。

現在残っている(2代目の)聖堂は大正時代(1919年)に建て直されたもので、これは激しいキリシタン弾圧期(江戸時代や明治時代初期)よりだいぶ後のことなのですが、初代聖堂が造られたのは1887年のこと。

それを建てたのは、さらに20年ほど前の1869年(明治2年)に無人島だった頭ヶ島に移住し、苦労を重ねて島を開拓した潜伏キリシタンの一団でした。このような経緯から、教会単体ではなく、構成資産の一つ「頭ヶ島の集落」に含まれる形で登録されています。

再建されたものとはいえ、100年前の建物ですから、風格は十分。どっしりとした石造りで、保存状態も良好です。

実は、日本にはこのような石造りの教会はほとんど無く、西日本に限れば、ここにしかありません。木造では最大規模とされる福江島の「水ノ浦(みずのうら)教会」とあわせて、ぜひ訪れてみたい教会です。

 

江上天主堂 (奈留島)

五島列島 江上天主堂

五島列島の中心的な五つの島のうち、どちらの端から数えても三つ目、つまり中間となる奈留島にある「江上天主堂(えがみてんしゅどう)」。

こちらも完成は1918年と比較的新しいため、頭ヶ島天主堂と同じ理由で「奈留島の江上集落」の一部という形になっています。

石造りの頭ヶ島天主堂に比べ、緑の木々を背にした白い木造教会には、まるで絵本の中から取り出したかのような幻想的な雰囲気があります。遠くから、あるいは写真などで目にした場合は、特にそう感じられるでしょう。

しかし、実際にその前に立てば、完成から100年を超えてなお揺るがない建物の持つ風格に圧倒されます。

50戸ほどの信者が漁などでコツコツと資金を貯めて建てたということで、大きな教会のような華やかさはありませんが、手作りの温かみは満点です。人の手で描かれた柱の木目やステンドグラス、五島列島名産の椿の形をした通気口など、思わず隅々までよく見てみたくなるはずです。

 

旧五輪教会堂 (久賀島)

五島列島 旧五輪教会堂

「旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)」は、世界遺産の構成資産「久賀島集落」に含まれる建物です。

国内に存在する最も古い木造教会は、(こちらも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである)長崎市の「大浦天主堂」ですが、旧五輪教会堂はその次に古い木造教会です。

もともとは久賀島初の教会として1881年に完成した「浜脇教会」でしたが、昭和初期の1931年に新たな浜脇教会を建てる際に一度解体され、五輪地区へ移築されました。

その後はこの地の教会として重要な役目を果たし、老朽化により建て直しが決まった際も、当初の計画(※取り壊して跡地に新たな教会を建てる)を変更し、新教会の位置を隣に変えさせるほど島の人々に愛されました。

そのおかげで、現在も私たちは旧五輪教会堂の姿を目にすることができます。新旧二つの教会を見比べれば、この教会が背負っている歴史の重みをいっそう深く感じられるでしょう。

 

井持浦教会 (福江島)

五島列島 井持浦教会

五島列島の教会には、世界遺産という肩書が無くても見るべき価値のあるものがたくさんあります。たとえば、この「井持浦(いもちうら)教会」には、日本で初めて作られたルルドの泉があります。

教会そのものができたのは、明治も半ばをすぎた1895年のこと。そして、ルルドの泉の完成は、その4年後の1899年です。

「聖母が現れた泉」としてルルドの泉が公認されたのは、その40年ほど前の1862年ですが、1891年にバチカンにそれを模した泉が作られたことで、世界中で同じような泉を作ろうという動きが活発になりました。

日本の場合はそこから数えてわずか8年ですから、驚くべき早さです。洞窟を形作っているのは、五島列島の各地から集められた形の良い石や珍しい石で、この泉の製作に関わった人々の情熱がよく伝わってきます。

残念なことに、当時の教会は1987年の台風で倒壊してしまいましたが、ルルドの泉は健在で、翌年に再建された教会と共に多くの人々を迎えています。

 

五島観光歴史資料館 (福江島)

五島観光歴史資料館

江戸時代に、激しい迫害を受けたキリシタンが五島列島へ逃れたのは、当時この地を治めていた福江藩(※五島藩とも呼ばれます)の取り締まりが、九州本土よりもゆるやかであったためと言われています。

その福江藩の石田城の跡に造られた施設の一つが、「五島観光歴史資料館」です。他にも城跡の中には「五島氏庭園」や図書館・文化会館、高校などが存在します。

建物は3階建てで、五島列島で人間が暮らし始めた旧石器時代の様子や、最澄・空海らの乗った船も寄港した遣唐使の情報、そして五島列島のキリシタンや福江藩の歴史などについて学べます。

福江藩は、関ヶ原の戦が終わり、徳川家康が大阪城を攻めていた1614年に江川城を失って以来、城を持たない期間が長く続いていました。異国船への警戒心を強めた幕府が築城を認めたのは明治を目前に控えた1863年で、その結果石田城は江戸時代の終わりに造られた貴重な城となりました。

日本の城に興味がある方には、特におすすめの施設です。

 

キリシタン洞窟 (若松島)

五撮列島 キリシタン洞窟 

キリスト教を禁じた徳川の世が終わり、明治政府が日本の舵取りを始めても、日本のキリシタンの受難は続きました。なぜなら、明治政府も徳川幕府と同様にキリスト教を認めないことを明言し、江戸時代よりも苛烈な迫害を始めたからです。

厳しすぎる状況から逃れるために選ばれたのは、船を使わなければ行くことができない、断崖の中の洞窟でした。それが現在「キリシタン洞窟(またはキリシタンワンド)」と呼ばれている洞窟です。

入口にある十字架とキリスト像は後の時代(1967年)に設置されたものですが、洞窟の中では当時の空気が今も感じられます。

この洞窟に隠れ住んだ信者たちは、不幸にも焚き火の煙が原因で見つかってしまいましたが、そうしたきっかけが無ければ、人が生活している(生活できる)とは思えないような環境です。

そこまでしなければ逃げられない状況で、そこまでしても信仰を守りたかった人々が存在した、という事実を現代に伝える、とても重要な史跡と言えるでしょう。

 

明星院 (福江島)

五島列島 明星院

江戸~明治の潜伏キリシタンにまつわるエピソードや教会の多さから、キリスト教一色というイメージが強い五島列島ですが、仏教を信じる人々も昔から存在します。

五島列島の寺院を代表するものは、歴史が最も長い「明星院(みょうじょういん)」です。

明星とは金星のことで、この寺を訪れた真言宗の開祖・空海(弘法大師)が一心に祈った際に、祝福のように明るく輝いた金星に心を打たれ、明星の名(明星庵)を付けたと言われています。

本尊の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は非公開ですが、国指定の重要文化財の銅造如来立像(どうぞうにょらいりゅうぞう)があり、本堂そのものも「五島列島最古の木造建築物」として県指定の有形文化財となっています。

なお、五島列島は(空海も参加した)遣唐使の寄港地として利用されていた場所です。

魚津ケ崎(ぎょうがさき)公園の「遣唐使船寄泊地の碑」や、五島市三井楽(みいらく)町の「空海記念碑」など、空海にまつわる史跡をまとめて旅するのもおもしろいかもしれません。

 

高浜海水浴場 (福江島)

五島列島 高浜海水浴場 

福江島の西側にある「高浜海水浴場」。島の大地を挟み、100kmほど離れた長崎市高浜にも、同じ名前の海水浴場があり、そちらも人気があるのですが、五島列島の高浜海水浴場も「日本の渚百選」や「快水浴場百選」「日本の水浴場88選」などに選ばれるほど優秀です。

澄み切った海と白くきらめく砂浜は、沖縄の有名ビーチとも肩を並べるほどで、「日本一美しい砂浜」と称賛する声もあります。

長崎市の高浜海水浴場では、沖に軍艦島が見えますが、こちらは手の届くような距離に嵯峨ノ島(さがのしま)が見え、風景に変化をもたらす良いアクセントになっています。

太陽の光が降り注ぐ日中も、辺りが赤く染まる夕方も素晴らしい高浜海水浴場は、海岸沿いを走る(「日本の道百選」の一つの)国道384号線から眺めて楽しむこともできます。泳ぐ予定が無い場合も、島内ドライブコースに入れてみたり、車を止めて写真撮影をしてみてはいかがでしょう。

 

大瀬崎灯台 (福江島)

五島列島 大瀬崎灯台

約20kmにおよぶ福江島西部の断崖から、夜の海を照らしている「大瀬崎(おおせざき)灯台」は、離れた場所から見ると三方を海に囲まれた小さな陸地にポツンと建っている姿が儚くも美しく、また明るさや光の届く距離といった実力面でも「国内屈指」という評価を受けている大灯台です。

その景観の良さから、過去には映画の撮影にも使われ、また心に残る灯台として「日本の灯台50選」にも選ばれています。

ただし、この立地が原因で、車で直接灯台の下まで行くことはできません。近くの展望台(※建物ではなく、灯台のよく見える展望スポット)で車を降り、そこから急な階段を含む道を片道20~30分歩く必要があります。

身体にはそれなりの負担がかかりますが、到着した時に得られる感動はとても大きなものです。往復のための時間と体力に問題が無ければ、絶壁を含めた遠くからの眺めと、すぐ近くからの眺めの両方を目にしてみてはいかがでしょう。

 

五島列島を上手に周る方法は?

五島列島の中で、最も広い福江島の面積は約326平方km。愛知県の名古屋市(約326平方km)や神奈川県の相模原市(約328平方km)、栃木県の栃木市(約331平方km)とほぼ同じで、福岡県の福岡市(約343平方km)よりやや小さいぐらいです。

東京都で考えるなら、葛飾区や杉並区(約34~35平方km)、あるいは板橋区(約32平方km)の10倍という、かなりの広さですが、この福江島を含めた五島列島のすべての島には鉄道が存在しません。その代わりとなるバスも本数は少なく、いくつもの観光地を移動するための手段として使うのは無理があります。

車

そのため、レンタカーや貸切タクシーが島内での主な移動手段となります。

旅先でレンタカーを利用するのはごく当たり前のことですが、ここはまだ開発が進んでいない五島列島です。極端に狭い道や走りにくい道での運転に不慣れな場合や、見知らぬ土地で地図を確かめながらの運転に不安がある場合は、多少費用が増えるとしても、貸切タクシーを選んだ方が良いかもしれません。

 

 

島内の移動の次は、別の島への移動を考える必要があります。

頭ヶ島のような例外はあるものの、五島列島の島々の大部分は橋で結ばれてはいません。基本的にはフェリーで移動することになりますが、こちらもバスと同様に便数が少ないため、観光プランはフェリーの発着時刻を中心に組み立てることになってしまいます。また、フェリーが立ち寄らない小さな島へは行くことができません。

五島列島 海上タクシー

より柔軟に観光を行いたい場合は、海上タクシーがおすすめです。

海上タクシーならフェリーのように出港時間に縛られることはありませんし、小島やキリシタン洞窟のような特殊な場所へも行くことができます。こちらもフェリーより高くなってしまうのが難点ですが、貸切タクシーと同様に、旅の快適さを大きく増してくれます。

どうしても予算が気になる場合には、これらの移動手段を使うツアーを選ぶというのも一つの手でしょう。

 

 

まる
高浜海水浴場ってすごそう! 『日本一綺麗な砂浜』とか言われたら、行って確かめたくなっちゃうよ!
ベル
今回は紹介しきれなかったけど、潮が引いた時だけ歩ける『前島のトンボロ』とか、星空をもっと綺麗に見られる『鬼岳(おんだけ)天文台』みたいに、自然と親しめるスポットがたくさんあるから、余裕があればその辺りもぜひ行ってみてね!
しえ
絶景スポットも悪くないけど、私はやっぱり教会ね! いろんな場所の教会を見てみたいわ♪
ベル
海上タクシーとかをうまく使って計画を立てれば、限られた時間でも、五島列島の自然と歴史の両方をたくさん楽しめるはずだよ。うまくまとまらない時は、旅行会社のツアーを参考にしたり、参加しちゃうのもアリだね!

 

 

トリッパー編集部

この記事を書いた人 トリッパー編集部

他の記事を見る

トリッパーを運営する株式会社トラベルマルシェのスタッフです。国内の北海道から沖縄までの旅行情報を発信し、皆様に楽しくなる旅行情報をお届けします。

follow!